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遠慮、配慮、考慮、思慮、憂慮・・

2004年6月 8日 posi_fool | | コメント(0) | トラックバック(0)

僕が子供の頃さんざん母親に言われていたことで特に印象深いのは「他人の気持ちになって考える」ってこと。自分が嫌なことは他人も嫌なのだからやめなさい。他人への思いやりがなければ生きていくことは出来ない。僕が問題を起こすたびに訥々と説教されたものでした。

今になって漸く理解することが出来たような気がします。
パソコン通信を始めた頃、荒れた掲示板などを見てすごく嫌な気分になったものです。まあこれは今でもよくあることなのですが一様に他者への思いやりを欠いた発言が引き金になる場合が多いですよね。また相容れない意見の持ち主が言葉尻を捕まえて批判合戦。この批判合戦への便乗荒らしも多く存在します。

普段の生活においても何気ない一言が相手を傷つけるケースを多く見てきました。もちろん僕が傷つけてしまった相手も多くいることと思います。僕のパーソナリティは完全ではないので母親が教えてくれたことを常に実践できているわけではないですから・・

長崎の事件でHPの掲示板の書き込みが原因のひとつであることが判ってきました。何気ない一言、冗談、そんなものがこの凶行の原因であるとすればなんと痛ましい事件!双方歩み寄ることは出来なかったのか、擦れ違った感情をぶつけ合うことは出来なかったのか、殺された女の子は加害少女に誤解されたまま死んでしまった訳ですよね。

何故殺してしまうんだろう?
何故押さえきれなくなってしまうんだろう?
それで全てが好転するはずがないのに最終手段が目的となってしまうのは何故?

想像力がないのかな?
善悪の区別が付かないのか?
いま生きてる世界をヴァーチャルだと勘違い?

いま学校で道徳の授業はないの?
僕の子供は未だ保育園児なので学校の時間割とかよく解らないんですが道徳の教科書ってありましたよね?確かに退屈だった記憶がありますが電車でお年寄りに席を譲るだのモノを盗むことはいけないことだとかの基本的なことを色々なエピソードを元に先生達も喋ってましたよね。
いや、学校任せにするってことではなくてもちろん家庭においても物事の善悪は教えていかなければならないことだと思っています。当然のことでしょう?

学校が救えなかった生命ではありません。
家庭が見殺しにした生命でもありません。
子供達の心に必要な何かが欠けている、このことを全ての大人達は自分の十字架として背負わなければなりません。
便利な世の中です。
子供達は我慢することを覚える必要がありません。
何もかもが手に入る、もしくは既に持って生まれてきます。
物質的な豊かさの裏側にある精神的貧困。
この精神的貧困状況を救うことが出来なければこのような事件は自分の子供が被害者にも加害者にもなるケースで生まれてくるはずです。

イラクの子供達を救う、何のために?
ボランティアの精神は大いに賞賛されて然るべきでしょうが僕は全く興味ありません。確かに必要なワクチンが不足している、食料が、飲料水が不足している、人間として生活できる環境が失われている、しかも戦争によって。
解ります、世界は平和を目指すべきです。足りない人には分けてあげなければ・・正論です。ただ言い方は悪いかもしれませんが自己満足のように感じます。僕にはとても出来ることではありません、それを考えると嫉妬心も混じっているのかな?

僕には未だ自立できない子供がいます。親として子供を守らなければなりません。こんな世の中で何が正しくて何が誤ったことなのか、しっかり導いてあげなければなりません。最低限、僕が母親に教わったように「他人への思いやり」は徹底的にしつけなければと思います。目の前の人のことを慮る、これだけでワンクッション置けるわけですよね。相手が何を考えて何を欲しているのか、そのために自分がしなければならないことを的確に判断できるように育てていきたいと思います。

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